2014年6月8日礼拝週報
天一国経典
「天聖経」
第四篇 真の人間
第3節 人間の創造
目的と三大祝福 喜びの対象として創造
2.神様の創造目的は喜びです。喜びを享受しようと、人間と世の中を造られました。喜びは独りで感じることはできません。喜びを享受しようとすれば、必ず対象、相対が必要です。主体と対象が互いに相対基準を造成して授け受けするとき、初めて喜びを感じられるのです。そして、最高の喜びは、愛を授け受けするときに感じることができます。それで神様は、人間を対象として造られ、その対象と共に無限の愛を授け受けしながら、永遠に喜びを享受しようとされたのです。それが正に創造目的です。このような創造目的を完成するために、人間の祖先としてアダムとエバを造られました。そのアダムとエバが神様の完全な喜びの対象となり、愛を授け受けしながら善の子女を繁殖していたならば、その家庭が拡大して社会になり、その社会が発展して国家になり、その国家は世界に発展して、この地球はアダムの一族で満たされ、この地上には神様の善と愛を完成した喜びの世界が形成されたでしょう。
3.神様がアダムとエバの位置に入っていき、父母として役事することができるのです。神様には形状がありません。神様が天地創造をしたのは形状をまとい、人間と共に実体をもって愛するためです。愛するために人間を創造したというのです。神様が人間を創造された目的は三つですが、第一は愛を成立させるためであり、第二は体をまとうためであり、第三は人類の父になるためです。
4.神様は、天地万物を創造され、その万物を主管できる人類の先祖を立てたあと、そこに希望をもたれました。創造理念を中心としてアダムとエバを見つめられ、希望の実体として見つめられたのです。アダムとエバが成長したあとに、神様は彼らを訪ねていきたかったのです。彼らの心の中を訪ね、入っていこうとされたのです。心だけでなく、心情の深いところにとどまろうとされました。神様が人間を創造された目的は、神様の心情を、人間の心情の深い所に植えることだったのです。
5.本来、人間始祖は、神様の心情と愛を中心として、神様と完全に一つにならなければなりませんでした。神様は、心情の目的を完結するために天地を創造されたので、この心情の対象である天地万物を愛する息子、娘に、愛を中心として相続させてあげなければなりません。神様が天地万物を創造されたのは、神様のためではなく、アダムとエバのためだったので、喜びもまた神様御自身によって生じるのではなく、アダムとエバによって生じるのです。世の中の父母も子女を見て喜びます。そのように、喜びとは対象によって生じるのです。
6.神様が人間を造られたのは、アダムとエバを見るためではありません。造った目的は喜ぶためです。喜ぶのは、愛することによって喜ぶのです。その創造の出発は、愛のゆえです。すべての存在の起源は愛です。人間だけでなく、すべての動物も、すべての愛の根拠地を通して生じるのです。生物は、愛のゆえに生命を受け継ぎます。人間が神様に対して拍子を合わせることもでき、相づちを打つこともできる何かがなくて、そのようにして絶対的な神様の相対になれるのかというのです。
(天聖経 386~387ページ)