2013年3月3日礼拝週報

説教者:盧明燮教会長

説教題目:訓読生活

『み言』

 復帰の法度が原理です。この原理は、大学で教える科学の原理のようなものではありません。人間が堕落し、父母を失ったので、その父母を捜し出すための公式を教えるのが原理です。それなのに原理を知らないでいいのかというのです。また、知ったならば、どうしなければならないでしょうか。ただ知るだけで、見物だけしていればいいのでしょうか。実践しなければなりません。自ら学んで、実践しなければなりません。「原理」のみ言どおりに実践しようとすれば、原理に対する確信がなければならないのです。
では、「原理」のみ言を聞いて何をしますか。父母が自ら、原理を中心にして実践したから法度になったのです。ですから、子女たちも「原理」のみ言を中心にして実践しなければなりません。

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 統一教会には「原理」という言葉があります。原理というのは、宗教を信じる人も、宗教を信じない人も、千年前も万年前もこの道を経なければならない、その原則的な道をいうのです。

ですから、統一教会で今、教えている真理というのは、神様と人間世界における曲折のすべての事情、恨が残ったものを解くことのできる原則的な内容を教えているのです。教理ではありません。教理は、天使長圏復帰解放時代までです。それでは家庭を築くことができないのです。家庭を取り戻すことができません。

私という純粋な者をどこで探るか、という問題を結論づけなければなりません。まずもって、この統一教会の真理が、唯一の真理であるというその自信をもたなければなりません。それから、変わらない、天然霊界も、他界も、あるいは歴史を通しても、永遠に変わらない真理です。誰も、国も変えることができなければ、世界も変えることができません。神様も変えることができないのです。先生自体もそうです。過去、現在、未来において変わらないという真理であるとするならば、この真理は、人間本来が願う、理想的な価値をもっているに違いありません。

原理を学んだと言いながら、原理を全部奥にしまい込んで、自分がしたいままに、自分は自分なりに、原理は原理なりに一つになっていないのです。それで伝道してうまくいかないのです。神様が共にいらっしゃらないので、そのようなものは偽物です。原理どおりにしなければなりません。皆さん、原理の本を見れば、そこには神様の六千年の心情があるのです。先牛の一生の血を流した闘争の歴史が、そこにあります。皆さんの知らない内容がいくらでもあるのです。そのような原理の本を一ページ一ページ見るたびに、夜を徹して祈祷しながら、ここに神様の心情を探すことのできる鍵があるのではないかと思いながら覚えましたか。線を引きながら、この一言の背後にどのような歴史があるのか考えてみましたか。それで何、「神様が協助してくださらない」と言うのですか。ですから新しい制度をつくらないわけにはいかないのです。今からみな体質を改善しなければなりません。神様の仕事をする聖職者の業が、どれほど神聖なものであるかを知らないでいるのではないかというのです。

天聖経《天一国主人の生活》
第4章 天一国の民となる道
2 み言 より抜粋

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