2013年2月24日礼拝週報
説教者:盧明燮教会長
説教題目: 天一国の民の生活
『み言』
原理には三大裁きがあります。真理、人格、心情において裁きます。堕落は三大要件を犯したからです。先生は成して、あなた方に教えているのです。復帰の道は成して教えるべきであって、成さないで教えるのであれば、聖書において六千年前にもう既にやってきています。なぜでしょうか。原則があるからです。父母の信仰が立たないから、父母が先に知らなかったから、知るのも父母が先に知らなければなりません。父母が先に実行できなかったから、実行するのも父母が先に実行してこそ、知るようになるのが原則です。ですから、原理は先生から、もう成した基準に立っていないと教えられないのです。
あなた方は、原理をパスしなければなりません。原理をパスして、原理基準に引っ掛からないような自らとならなければなりません。そうして原理の実体者にならなければなりません。蕩減原則から外れた人には実体復帰は成されません。そのような条件が残っている場合には、サタンがいつも私のものだといって、引っ張っていきます。ですから、実体基準を立てようとすれば、サタンと正面で対抗し、勝利しなければなりません。
聖書には、善悪の実を「取って食べてはならない」という内容が出てきます。そこには、人間と神様との関係を破綻させ得る内容が込めてあったからです。それで問題になるのです。原理ではこの事実を明確に解明しています。原理は、堕落に対する事実がはっきり分からない人には、偉大な福音です。苦痛を受けながら生きているすべての人々を救援することのできる、偉大な福音です
善悪の実は、文字どおり木と見ることはできません。木の実ではありません。億千万代(にわたって)人類がこのように破綻の立場と闘争の路程で呻吟する状況をつくるような果実を、神様がなぜつくられるでしょうか。先生が語る、愛の内容を中心として現れた結果だというのが、何よりも理論的だと考えられます。
天聖経《天一国主人の生活》第4章 天一国の民となる道 より